2018年2月20日火曜日

飲み助の「9条壊憲」笑い話


安倍晋三首相による「憲法9条2項」に自衛隊容認の第3項を加えるという案が、自民党の壊憲案に正式に採用される可能性がありうるという状況になってきましたね。この9条加筆案が、憲法論などという高尚なレベルの問題ではなく、いかに論理的にも倫理的にもめちゃくちゃであるかは、笑い話にでもするより他には議論のしようがないほど馬鹿ばかしい(馬と鹿に失礼なくらいの)話しです。そこで、実際に笑い話を作ってみました。登場人物は、医者先生と酒の好きな熊さんの2人で、以下がその2人のやりとりです。(私自身、一杯やりながら書かないと、こんな馬鹿ばかしい話は書けません<笑>)

医者先生:
「熊さん、あんたの人間ドックの結果ですがね、一つだけ除いてあとは全てすこぶる良好の健康状態(内心:でも、頭脳の健康状態については言わないほうがいいな)。ただ、その一つとは肝臓ですね。あんたは酒が大好きなようですが、このまま飲み続けるとすぐにあの世からお迎えが来ます。すぐに禁酒しないとダメですね。肝臓検査のこのデーターの横に赤ペンで<絶対禁酒>と書いておきますから、守ってください。」
熊さん:
「せ、せ、先生、そ、それは困りますよ。そのデーターをカアチャンに見せなくてはらないが、見せたら今晩から禁酒ですよ。禁酒させられたら、オレはウツ病になって、それこそすぐにお陀仏でっせ。」
医者先生:
「熊さん、あんた、そんなこと言ってる余裕はないですよ。それにウツ病は私の専門ではないので、精神科の先生と相談してください。」
熊さん:
「先生は確か自民党の党員で、安倍首相を支持してますよね。」
医者先生:
「ん、そうですが、それとあんたの肝臓とどういう関係があるの?」
熊さん:
「安倍さんは、戦争絶対放棄・非武装・交戦権否定の憲法9条に、<でも自衛隊はいい>という文章を加えようと言ってますよね。先生もこれに賛成してるはず。それと同じことを、オレの健康診断書にも書いてもらえませんかね。つまりね、第1項が<あなたにとって飲酒は肝臓にひじょうに悪い>、第2項が<よってあなたは禁酒すべき>というのに、第3項を加えてもらって<ただし、飲酒はあなたの精神健康上きわめて良い>、という具合なんですが……どうでっしゃろね?」
医者先生:
「そんな馬鹿な〜。憲法と健康診断書じゃ、全く違う話しですよ、あんた。」
熊さん:
「(この医者は頭が悪いな)あのですね、先生。オレにとってはね、酒を飲むというのは、精神健康を保つため、つまり自分の健康を衛ための<自衛行為>なんだよ。安倍さんが言う第3項と同じなの。それにだよ、本当のところを言えば、第3項は、9条をなんの意味もないものにしようというダマシだろう。一億人の国民を騙すための加文(カブン 本人は「加筆」のつもり)だろうがよ。オレが先生に頼んでるのは、オレのカアチャン一人を騙すというゴクゴクちっぽけな嘘。誰にも迷惑かけないぜ。安倍さんの大ウソと比べれば屁みないなもんよ。その屁みたいな嘘で、我が家の平和は保てるんよ。こう見えても、オレは屁和主義者なんよ(本人は平和主義者のつもり)。」
医者先生:
「熊さん、あんたの要求はカブン(過分)な要求で、受け入れられないよ。」
熊さん:
「(このヤブ医者、本当に頭が悪いな)あんたのダジャレを聞きに来たんじゃないよ。あんたね、オレがいま酒飲んでたらね、そんな下手なダジャレを言うやつはぶん殴るぜ。飲んでないから、あんた幸運だぜ、本当に。」
医者先生:
「暴力はいけません。憲法9条違反ですよ。」
熊さん:
「なにを!憲法違反を大ウソついて堂々とやってるのは、安倍と、てめいら自民党じゃねいか!こちとら、9条じゃなくて、クジョウ(苦情)を言いたいよ。」
医者先生:
「ダジャレは精神健康上、良くないよ。」
熊さん:
「クソッタレ、ヤブ医者!安倍もお前もお大ウソつき!<飲酒は精神健康上きわめて良い>と健康診断書に書いてくれる医者が見つかるまで、オレは病院をハシゴしてやる。オマエになんか頼むか!」
医者先生:
「(クソは誰もみんなするんだがな……。クソしなくなったら便秘、悪くすれば腸閉塞……)」

- 終わり

ああ、もう一杯飲まなくちゃいられない ……

2018年2月18日日曜日

15年戦争史概観


戦争責任問題を考えるための予備知識 - 
(1)張作霖暗殺、満州事変から満州国成立へ

  イギリスのある大学出版会が、3巻本の『日本史百科大事典』を再来年半ばに出版する予定で、現在計画を進めています。この大辞典の「アジア太平洋戦争」の項目の執筆を私が依頼され、いつものように深く考えもせずに引き受けてしまいました(いつもこの調子で、後悔の連続<苦笑>)。執筆字数が極めて限られているので、重要事項に焦点を絞って各事項をできるだけ簡潔に解説しなければならないため、正直、四苦八苦しています。
  しかし、執筆計画を立てる段階で、本当は、これは英語だけではなく日本語でも書くべきではないかと気がつきました。今、日本の若者たち、いや若者だけに限らず、多くの人たちが、「アジア太平洋戦争」に関する知識を十分持っていないという状況になっていることは周知のところです。現在問題になっている「日本軍性奴隷(いわゆる慰安婦)」問題を真に理解するにも、日本が行った「アジア太平洋戦争」とはいったいどんな戦争だったのか、ということを知る必要があるのですが、悲しいかな、その基本的知識がないというのが実情です。
  「アジア太平洋戦争」は、通常は、1941年12月8日の日本軍マレー半島上陸・真珠湾攻撃から始まり、「ポツダム宣言」受諾で終わった1945年8月15日までの期間を指す戦争です。しかし、「アジア太平洋戦争」をよく理解するには、もうずいぶん昔に鶴見俊輔さんが提唱されたように、1931年9月18日のいわゆる「満州事変」から45年8月15日までの15年間を連続してとらえる、「15年戦争」史観が必要であることは改めて言うまでもないと思います。(私は、実は「アジア太平洋戦争」という用語を、いつもは「15年戦争」とほとんど同義語で使っています。)
  この15年戦争という戦争はいかなる戦争であったのか、なぜゆえに日本は15年もの長期にわたって戦争を続けたのか、その戦争は中国を含む東北アジア、東南アジア、太平洋諸島という広い地域の人々に、さらには自分たち自身にもどれほど痛ましい打撃を与えたのか、連合軍捕虜をどのように取り扱ったのか、それらに対する責任はいかなるもので誰にあるのか、という基本的で重要な問題に関する史実を確認しておかないと、つまり戦争の実態を知らないならば、その責任問題を正しく議論することができるはずはありません。
  私たちが70年以上にわたって戦争責任問題を重要視してこなかったこと、あるいは政治家たちが自国の戦争責任を認めることを拒否してきたこと、今も拒否し続けていること、アメリカの戦争責任を追及してこなかったことなどが、「慰安婦問題」に限らず、現在の日本の様々な政治的な歪みを産みだしている根本的な原因だと私は考えています。そこで、この機会に、15年戦争の歴史をできるだけ簡潔に、自分なりに書いておこうと思います。
  以下のように4回に分けて、毎月1回ぐらいのペースで書いてみようと思いますが、書き進むうちに、計画そのものが変わってくる可能性は十分あります。しかし、現在の段階での計画は以下の通りです。重要な出来事だけを選んで、できるだけ簡潔に書いてみます。したがって、様々な関連事項について細かく説明している余裕がありませんので、分かりづらいところが多々あるかもしれません。特別な用語についても、簡単な説明を付けておきます。ご笑覧いただき、理解困難な箇所や間違っていると思われる箇所がありましたら、遠慮なく、ご指摘、ご批評いただければ幸いです。

今回:
1)張作霖暗殺、満州事変から満州国成立へ

次回以降:
2)日中全面戦争
3)アジア太平洋戦争
4)敗戦、戦争責任、東京裁判

1)張作霖暗殺、満州事変から満州国成立へ

日本軍国主義の台頭と満州進出
  日本は日清戦争(1894〜95年)、日露戦争(1904〜05年)、第1次世界大戦(1914〜18年)を経て短期間のうちに急速に軍事大国にのしあがった。日清戦争では台湾・澎湖諸島を植民地化、日露戦争では遼東半島先端部(関東州)を租借地として獲得し、サハリン南東部(南樺太)を領土とした。1910年には朝鮮を植民地化、第1次世界大戦では南洋群島も保有するに至った。さらに、日露戦争後の日露講和条約では、ロシアから東清鉄道南部支線を取得し、これを基盤に半官半民の南満州鉄道株式会社(いわゆる「満鉄」)を設置。満鉄は鉄道経営にとどまらず、沿線の撫順・煙台の炭鉱採掘、大連・旅順の港湾事業、鞍山の製鉄業などの事業をも兼営する(最盛期には80を超える関連企業を有する)一大コンツェルンへと拡大することで、満州植民化への足がかりを作っていった。

  1931年の段階で、日本は280隻(13万8千トン)の大艦隊を擁する世界第3位の海軍大国となり、陸軍は常備兵力として17個師団(約23万人)の兵力をもち、そのうちの2個師団は朝鮮に配備され、さらに1個師団が関東州と満鉄の防備・保護の任務に当たる関東軍として配備されていた。この帝国陸海軍を統帥する(支配し率いる)のは陸海軍大元帥であった天皇裕仁(1921年に摂政、28年に天皇に即位)であったが、統帥権は、実際には、最高幕僚長である陸軍参謀総長と海軍軍令部長(1933年9月から「軍令部総長」と改称)の補佐によって行使された。この統帥権行使については、軍部が「統帥権独立」を主張し、内閣の関与を許さなかった。つまり軍隊の指揮・運用に関しては、参謀総長、軍令部総長、陸海軍両大臣の帷幄上奏権(天皇に直接進言する権利)によって、内閣の意向とは無関係に、軍令を制定することができた。天皇は、統治権を総攬する国家元首であり、国務に関する大権も持っていたが、この大権も国務大臣の補弼(天皇に助言を与えること)によって行使されていた。

  軍事的には大国となっていた当時の日本ではあるが、経済的にはいまだ弱劣国で、石炭はなんとか自給できていたものの、鉄鉱石、非鉄金属類、石油などの自然資源やゴム、羊毛、棉花などの原料確保では、覇権争いの相手であった米国ならびに英国植民地からの輸入に大きく依存していた。その上、日本は工作機械類の工業生産手段の生産でも立ち遅れていたため、この面でも米英からの輸入に依存。脆弱な経済力にもかかわらず、実力以上の軍事的対外膨張政策を推進したため、外資輸入や国際金融面でも米英への依存度が強かった。かくして、日本は、軍事力では世界第3位を誇り米英に対抗しながらも、経済的にはその両国に大いに依存しなければならないという矛盾を抱え込んだ、一言で称するなら「遅れてやってきた帝国主義国家」であった。

  この矛盾を解決するために、アジア地域で日本を中心とする自給自足圏(後に「大東亜共栄圏」と呼ばれる地域)を打ち立てることで、米英に対する経済上の劣勢と依存を克服するという構想が、軍や右翼の急進派によって唱道されるようになった。この構想の実現は、当然、アジア全域に支配力を及ぼしていた既存の欧米勢力の打破を必要とするので、米英仏蘭といった列強諸国との軍事的対決が必然的になってくる。そのため、軍部は、このアジア覇権主義に基づき、上記の「統帥権独立」を盾に、国家総力戦体制の確立に向けて、内閣の意向を無視する形で軍備増強を推進。同時に、国政や外交にも頻繁に介入して、ますます内閣の欧米列強諸国との国際協調路線政策を妨げ、対外政策の分裂を増幅させた。同時に、軍部を中軸とする天皇制支配体制を強化し、議会政治、政党政治の機能を麻痺させていった。

  一方、経済面では、日本は、第1次世界大戦で異常に膨張した経済を襲った1920年の恐慌、23年の関東大震災による経済へのさらなる打撃、27年に起きた空前の深刻な金融恐慌などのために、長期にわたる深刻な経済不振にみまわれ、「慢性不況」と称される時代であった。この恐慌の影響で疲弊した農村では、多くの若い女性たちが娼妓、すなわち売春婦として身売りされ、都市へと送り込まれたと言われている。こうした経済危機を脱出するために資本家たちが中国市場の確保拡大を要求する動きによっても、「アジア覇権主義」は促進された。15年戦争は、「遅れてやってきた帝国主義国家」である日本が、長引く経済不振を「アジア覇権主義」で暴力的に解決しようと始めた無謀な戦争であった。

  上述したように、日本による南満州と大連・旅順という不凍港のある関東州の支配の大動脈は満鉄であり、関東軍の任務はこの満鉄と関東州の保護・防備であった。満州の資源、とりわけ石炭・鉄は、陸軍にとっては将来の国家総力戦にとって不可欠であるとみなされていた。しかしながら、問題は、日本が軍事的、経済的に極めて重要視していたこの満蒙(満州と内モンゴル)特殊権益と南満州支配は、侵略によって獲得されたもの、すなわち中国の主権と民族的利益を侵害することで可能となっていたことである。ところが、1919年の五四運動以来、中国民族の間には反日ナショナリズムが高まり、日本による中国の主権・民族利益の侵害を許さないという民族運動がますます強まっていた。南満州でも抗日運動が活発となってきたため、その対策として張作霖を首領とする奉天軍閥(軍閥=私的軍事力を持って一地域に割拠する封建的支配勢力)を日本の手先として育成・支援し、彼に抗日運動の制圧と地元住民の統制に当たらせた。

張作霖暗殺事件と反日民族闘争の高揚
  しかし、1920年代半ばに中国最大の実力者の一人にのしあがった張は、関東軍に反発するようになり、日本の意のままには動かなくなった。張を邪魔者視するようになった関東軍は、彼を暗殺し、これを機会に張の支配下にあった東三省を中国から分離・独立させて日本の直接支配下におこうという画策を行った。1928年6月4日早朝、関東軍高級参謀・河本大作大佐らが、国民党政府と対立して北京から引き上げてくる張が乗っている列車が奉天に近づいたとき、この列車を爆破して殺害。欺いて殺した中国人2人の死体を、国民党政府のゲリラのように偽装して現場付近に放置しておいたのである。この暗殺は、関東軍が独断で行ったもので、当初は田中義一首相も陸軍首脳たちも知らなかった。11月になって事実が判明すると、天皇裕仁は、一時は首相・田中義一の問題処理の仕方に不満を示したが、統帥権を犯した河本らを処罰することもなく、結局はこの陰謀を黙認してしまった。
関東軍は張作霖暗殺現場の写真を絵葉書にしていた



 
  父親・張作霖を暗殺され、そのあとを継いだ息子の張学良は、1928年末に蒋介石の国民党政府と提携し、その結果、東三省も国民党政府の管轄下に合流。かくして関東軍の陰謀は、日本に対する中国の国権回復の要求を逆に強めてしまうという結果を招いた。同時期、英米両国に加えフランスも、蒋介石の国民党政府を中華民国の唯一の政府として正式に承認。これに続き世界各国が国民党政府を承認し、その結果、長年中国を苦しめてきた不平等条約が改正され、関税自主権も認められるようになった。ところが日本だけが国民党政府を正当な国家政府とは認めずに敵対し続けたため、中国貿易に占める日本の割合は減退。かくして、中国市場を軍事的圧力で独占しようという計画は、意図していたものとはまさしく正反対の結果を招いてしまったのである。
  
  1929年後半に始まった世界大恐慌は農業恐慌も引き起こし、満州の農業も大打撃を被る。これに加えて、満鉄に対抗する形で、張学良が満鉄に並行して三大幹線鉄道を建設したため、満鉄の収入は29年から31年の3年間で4分の1にまで激減。さらには、1930年5月に、国民党政権が新鉱業法を制定して、日本人の土地と鉱業権取得を厳しく制限したため邦人企業経営はさらに不振に陥った。同時期、日本の植民地支配下にあった朝鮮では、労働者のゼネスト、学生運動、日本人所有農場での小作争議などが頻発し、ここでも反日民族闘争が高まっていた。この動きが、在満朝鮮人(1927年末の段階で約80万人、その大部分が吉林省の間島地方に居住)の間にも影響を及ぼし、中国共産党と繋がった革命的朝鮮人のグループが武装蜂起を起こし、間島地方の日本領事館や鉄道を襲撃するという事件も起きた。これらの中国人・朝鮮人革命家たちは、満州に隣接する社会主義国家ソ連が1928年に開始した第1次5カ年計画が飛躍的な発展を見せていることに励まされており、このことも関東軍参謀たちに大きな不安を抱かせた。

  このような状況から、1931年に入ると、軍部だけではなく、政治家や資本家の間でも「満蒙は日本の生命線」、「生命線満蒙の死守」といったスローガンが主張されるようになった。彼らは、満蒙問題が解決すれば日本の景気は自然に回復すると、不景気にあえぐ大衆の不満に訴えたわけである。同年7月、長春に近い万宝山集落で、用水路をめぐって朝鮮人農民と中国人農民の間で対立が起きたことから、日本人警官隊と中国人農民が衝突する事態となった。この事件が朝鮮での中国人への報復事件を多数引き起こし、100人を超える中国人が殺害された。実は、この事件は、朝鮮人農民に用水路工事を強行させて中国人農民に損害をもたらすことで、中国人を挑発した日本側の謀略であった。同年6月、蒙古人に変装して日本人旅行禁止区域の興安嶺方面でスパイ活動中であった中村震太郎大尉が、中国兵に怪しまれて射殺されるという事件が起きた。陸軍省は8月になって、中村大尉が軍事スパイであったことを伏せて、帝国軍人が不法に殺されたと発表。軍部は日本人の反中国感情を煽るためにこうした事件を利用し、日中関係は、軍部が期待した通り、一触即発の状態となった。

柳条湖爆破の陰謀と傀儡国「満州国」の設置
  関東軍では、参謀作戦主任の石原莞爾中佐と高級参謀の板垣征四郎大佐を中心とする参謀たちが、満州占領のための戦争計画、満蒙領有計画を1930年末までにほぼ完了させていた。時機到来と判断した関東軍参謀たちは、1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖の満鉄線路を爆破し、中国軍が不法にも攻撃をしかけてきたと主張。関東軍司令官・本庄繁大将は、「自衛」のための行動と称して攻撃命令を出し、1日のうちに奉天、長春、営口などの満鉄沿線全要地を占領し、21日には、満鉄沿線でもなく、日本に守備権もない吉林をも占領。同じ21日、石原、板垣らと事前に打ち合わせていた朝鮮軍司令官の林銑十郎中将は、一個旅団を独断で越境させて満州に派兵した。国境を越えての派兵は、統帥権を持つ大元帥・天皇裕仁の許可が必要であったが、林はこれを無視して行動。

  驚いた若槻礼次郎内閣は、19日の緊急閣議で「事件の不拡大」を決定した。関東軍の計画について何も知らされていなかった軍中央も、不拡大に一応賛成した。ところが、すぐに方針を変更して、この際、一挙に満蒙問題を解決しようと関東軍への増援支持を決定。軍中央の案に同意しないなら、これが原因で政府が倒壊しても全く我々の関知するところではないと政府を脅した。怖気づいた若槻内閣は、21日の閣議で、満州での事件を「戦争」とは見なさず「事変」として扱うことにし、したがって「宣戦布告」はしないと決定。さらに22日の閣議で、若槻首相は、21日の朝鮮軍部隊の越境派兵を「出たものは仕方がない」とあっさりと認めてしまい、そのための戦費支出も承認した。若槻は、その日のうちに、この政府決定を裕仁に上奏し、「追認御允許」を願い出た。これに対し、裕仁も「此度は致方なきも将来充分注意せよ」と、これまた簡単に既成事実を追認したのである。

  日本軍の侵略を受けた中国では、当時、国民党政府は蒋介石の南京政府と汪兆銘らが率いる広東政府に分裂していた状態であった上に、共産軍との戦闘にも追われていた。そのため、蒋介石は日本軍とは基本的には交戦回避の方針をとり、9月21日に国際連盟に提訴した。張学良も、無抵抗の姿勢をとって日本との戦闘を放棄。国際連盟は、30日の理事会で、日本に対して抗議し事件不拡大要求の決議を一応採択したが、日本軍の撤退についてはなんの有効な行動もとらなかった。欧米帝国主義列強にとっても中国の共産主義と民族主義は脅威であったため、日本に対しては強硬な態度をとらなかったのである。

  列強諸国のこうした消極的な反応に乗じて、10月に入ると、日本軍は侵略を拡大して、張学良が拠点としていた錦州を無差別爆撃し、さらに北満への侵攻も開始して黒龍江のチチハルを占領。裕仁は錦州への無差別爆撃を「状況上、当然のこと」と認めただけではなく、「関東軍の兵力は少なくないか」と尋ね、状況によっては関東軍を増強するつもりであった。日本軍は、翌1932年1月には錦州を占領し、2月には北満の要塞ハルビンも占拠。かくして、柳条湖爆破後わずか5ヶ月で、日本軍は全満州を占領した。こうした作戦遂行と並行する形で、関東軍は特務工作を使って各地に中国人の「自治委員会」をでっちあげた。一方、若槻内閣は、唱えた「不拡大方針」に対する有効な手を打つことが全くできず、幣原喜重郎外相による対英米協調外交も頓挫し、1931年12月11日に総辞職。かわって、犬養毅を中心とする政友会内閣が成立した。

  1931年10月2日、関東軍は最高会議で、「満蒙を独立国として我が保護下に置」き、日本がこの新国家の国防・治安・外交の権限を掌握し、各政治機関も指導監督するという、文字通りの傀儡国家設立計画を決定した。そのため、同年11月、清朝最後の皇帝溥儀を新国家の「執政」とし、1934年に帝政を布き彼を満州国「皇帝」とした。満州国内には関東軍が無制限、無条件に駐屯することとなり、関東軍が必要とする鉄道・港湾・水路・航空路などの管理は全て「日本に委託」するという形をとることで、満州国は関東軍の強力な軍事的支配下に置かれたのである。

  ちなみに、1932年3月1日に満州国建国が宣言され、同年8月に関東軍司令官・本庄繁は軍事参議官として東京に戻った。その際、本庄は裕仁から、「柳条湖爆破事件は関東軍の陰謀であるという噂があるが、真相はどうか」と訊かれ、「関東軍ならびに司令官である自分は絶対に謀略はやっておりません」と答えた。裕仁は「そうか、それならよかった」と言って、それ以上なにも調べようとはしなかった。
 
  この「満州事変」と称した戦争と「満州国設置」によって、軍部は日本政府の外交政策にとどまらず、内政全般に関しても急速に圧倒的な発言権をもつようになっていった。歴史学者・井上清が名著『日本の軍国主義』で適確に指摘したように、「日本のもともと不完全な政党内閣・議会政治の慣習は、1932年5月15日、政友会総裁で首相の犬養毅が、官邸で、海軍将校と陸軍士官候補生の一団に射殺されたときにとどめをさされた」のであり、「外には中国侵略戦争のとめどもない拡大と、内には軍部独裁の天皇ファシズムへの進展とが不可分の一体となって、日本を亡国のふちに追い込んでいった。」(強調:引用者)
  
  傀儡国家を設置したことで、満州国における中国民衆の反日感情は一層激しくも上がり、抗日ゲリラ武装闘争が激しくなった。例えば、日本政府による満州国の公式な設立承認を意味する「日満議定書調印」が行われた1932年9月15日、その日の深夜に、約2千人の抗日ゲリラが、奉天郊外にある満鉄所有の撫順炭鉱を襲撃し、日本人10数名に死傷者を出した(ゲリラとはいえ、所有していた武器は手製の粗末な銃・槍・太刀など)。翌16日、関東軍の撫順守備隊が、報復処置として、ゲリラに通じているとみなした近く平頂山の集落に急行し、村民3千人を崖下に追い込んで銃撃し、銃剣・日本刀で、妊婦や赤ん坊までほとんど村民全員を虐殺(女性の中には性暴力の被害者になった者もいたと言われている)。村落は焼き壊し、崖にダイナマイトを仕掛けて爆破して死体を埋め尽くし、兵士には箝口令を引いた。村民のほとんどが撫順炭鉱の労働者であった。

  関東軍は抗日ゲリラを「匪賊(集団で略奪・殺人・強盗を行う賊)」と呼び、これ以降、「匪賊討伐」に明け暮れることになる。同時に「匪賊討伐」では、平頂山と同じように、抗日ゲリラに通じているとみなされた村落が日本軍によって焼き払われ、住民が虐殺されるケースが各地で起きている。1933年に入ると、満州における抗日武装闘争は、主として毛沢東指導下の中国共産党主導のもとに進められ、1933年9月に中国共産党満州委員会が立ち上げた、楊靖宇を司令官とする東北人民革命軍の一部隊が中心となった。また、1934年3月には、朝鮮との国境近くの間島省で、金日成(後に朝鮮民主主義人民共和国を建国し、初代首相となる)を司令官とする朝鮮人民革命軍が結成されている。

  満州国設立との関連でもう一つ忘れてはならないことは、細菌・化学戦部隊である731部隊の設置である。陸軍軍医・石井四郎を主幹とする防疫研究室が、東京の陸軍軍医学校内に新設されたのが1932年4月。翌33年には、関東軍防疫班が「東郷部隊」という秘密名で、満州国ハルビンの近くの背陰河に設置され、このときから中国人を細菌の人体実験として使い始めた。36年8月には、関東軍防疫部(1940年8月に関東軍防疫給水部と改称)として731部隊(いわゆる「石井部隊」)が発足し、ハルビン郊外の平房に建設された大規模な施設(医学研究室、実験室、人体実験被験者収容施設、監獄などの複合施設)に移った。731部隊は、ペスト菌、チフス菌、パラチフス菌など様々な病原菌を兵器として利用する目的で大量生産し、そのための人体実験で、中国人(少数ながらロシア人も含む)に感染させた。さらには、毒ガス、凍傷、熱湯、脱水、感電などの実験にも生きた人体を使った。マルタ(丸太)と呼ばれたこれらの被実験者たちは、抗日分子、スパイ容疑で逮捕された者、「犯罪者」と見なされた者などで、約3千人あまりが犠牲者となったと言われている。

- (1)終わり 

2018年1月7日日曜日

「少女像」があるべきところ

私が最も尊敬する韓国人のお一人、金鐘哲氏(評論家で詩人)の御論考「韓国の『ロウソク革命』の中にいて」については、昨年9月にこのブログで紹介させていただいた。今回は、金氏が、最近、『ハンギョレ新聞』に書かれた「慰安婦問題日韓合意」に関する評論を、ご子息の金亨洙氏が日本語に訳されたものを、金氏の御許可を得て紹介させていただく。
戦争犯罪を研究テーマにしている歴史家として私が常に思っているのは、戦争犯罪の「罪と責任」の問題は、根本的には、加害者側が被害者側に人間としてどのように向き合うかということだ。金氏が言われるように、慰安婦問題は決して条約や合意の遵守といった外交的原則や国益などの次元をもって論じ得るテーマではない」のであり、まさしく「これは韓国人、中国人、日本人を問わず人間らしく生きることが如何なるものであるかについて思考する能力を持つ全ての人間の共通の関心事でなければならない」のである。性奴隷という戦争犯罪による人権侵害は、「人道に対する罪」という普遍的な問題であって、このことを無視して、金銭で被害者の国の政府を黙らせようとするような非道なやり方では、問題は解決しないどころか、ますます泥沼化していくのは当然なのである。こんな明瞭なことも理解できない愚鈍な政治家が首相となっている国の国民は、まことに不幸としか言いようがない。
「少女像」があるべきところ
金鐘哲 (『緑色評論』発行人)
<金亨洙 訳>

日韓の両政府が妥結したと言っていた201512月の所謂「慰安婦問題に関する合意」というのが、とんでもないデタラメであることが明らかになった。去る1227日特別検証チームが発表した調査結果をみると、それは政府間の正当な合意というより、安倍政権の根本的な非道徳性と朴槿恵政権の極端な無責任と愚かさが相まって生じた外交的惨事であったに違いない。
それなのにこの検証結果が発表されるや否や、日本政府はもちろん日本の主要メディアまでもが一斉に非難と憂慮の声を上げた。政府間の約束は守るべきであり、韓国は今になってガタガタ言わずに合意に伴う事項の履行に徹するべきだという主張である。なかには - トランプのパリ気候協定の脱退については一言も言わなかったくせにして - 韓国に対しては「未開な行いはやめて国際的なルールをきちんと守れ」とまで、無礼な言葉を発する媒体もある。そして安倍総理は「一ミリも動かない」と、極めて乱暴な言葉を用いながら不快感をあらわにした。
そこで驚くべきは韓国のいくつかの「保守派」メディアも日本のマスコミと似た反応を示したことである。例えば、こうだ。「それに大きな問題は経緯調査の名の下で外交上超えてはいけない線が守られていなかったという事実である。30年の期間をもって秘密とされるべき外交文書が2年で公開されてしまった。これから文在寅政府はもちろん、今後の全ての政権にとって大きな外交上の負担となるのは間違いないだろう。日本は言うまでもなく、いったいどの国が韓国政府を信じて秘密の取引を行おうとするのだろうか。」(『中央日報』社説、20171228日付)
このような憂慮に一理あるのも否定できない。「秘密の取引」を公開してしまった結果、以後の韓国の外交能力に支障が生じる可能性が全くないと断定することはできないからである。(しかし、国家間の交渉は基本的に互恵原則に依拠するものであること、そして政府間の「秘密」というのも多くの場合、民衆の意思とはかけ離れた権力者同士の話にすぎないということも忘れてはならない。)ところが、残念なことに、「保守派」メディアが、意図的であろうがなかろうが、完全に看過している事実がある。つまり、慰安婦問題は決して条約や合意の遵守といった外交的原則や国益などの次元をもって論じ得るテーマではないということである。
簡略に述べると、「慰安婦問題」というのは国家権力が何の罪もない女性たちを強制的かつ組織的に動員し、戦場の「性奴隷」とし、その女性たちの一度だけの生涯を徹底的に踏みにじった、 極端な反人倫的蛮行に関わる問題である。したがってこれは被害当事者だけではなく、この世を人間として生きていくためにも必ず解決していかねばならぬ、我々皆の問題だといっても良い。人間らしく生きるための共同体が成立するには物理的な土台だけでは不十分なのだ。それより根本的なのは共同体の道徳的・倫理的土台である。
慰安婦問題の解決は結局この倫理的な土台を、遅まきながらも復元しようとするものである。したがってこれは日韓の間の単なる外交問題でもなければ、謂わば国益に関わる問題でもない。これは韓国人、中国人、日本人を問わず人間らしく生きることが如何なるものであるかについて思考する能力を持つ全ての人間の共通の関心事でなければならない。東アジアから遠く離れた米国のサンフランシスコに慰安婦を念う「少女像」が建てられたのもまさにこのような普遍性のためである。
しかしながら日本はこの事実を直視しようとしない。未だ国家主義の迷妄にとらわれている人たちは論外にしても、常識的に見える人でさえもこの問題に関しては、不思議にも、退嬰的な態度を示している。彼らはこういう。「ドイツのように日本も戦争で被害を受けた隣国に対して潔く謝罪すべきといった主張もあるが、ドイツと日本は状況が根本的に異なる。ドイツが謝罪したのはユダヤ人に対する大虐殺である『ホロコースト』のためであり、戦争を起こした責任のためではない。歴史上戦争を起こしたとして謝罪した国はない。」そして戦争責任について発言する数少ない知識人でも、植民地支配に言及することはほとんどない。英国がインドに対する植民地支配について謝罪したことがあるのか、というのが彼らの論理である。その上、今日の日本はナショナリズムからはすでに脱しているのに、韓国や中国は未だナショナリズムという「非合理的な」情緒的監獄に閉じこめられていると、軽蔑な口調で話す日本の知識人も少なくない。
そして彼らは絶えず言う。もうやめましょうと、いつまで過去に囚われているのかと。真の意味において一度も謝罪したこともなく、またきちんとした歴史教育も行なっていないのに、そういった状況のもとで東アジアの国家間協力と連帯が可能だとも思っているのだろうか。一時期「東アジア共同体」というアイデアが日韓の知識人の間で流行ったことがあった。勿論ヨーロッパ連合を念頭においた発想だったが、EUの実現に決定的だったのは自らの歴史的な過ちを素直に反省したドイツ人たちの謙虚な姿勢にあった。慰安婦問題がこのように未解決のままなのは、結局自分たちには謝罪すべき過ちなどないという日本人の傲慢さによるものであろうが、そのような歪んだ感情の構造をそのままにして東アジアの国々の善隣関係を夢見てもそれは無駄である。
事実、慰安婦問題に関連して日本側の根本的な態度の変化がない限り韓国政府にできることはあまりないようにみえる。今韓国のメディアは文在寅政府の賢明な対応を求めているが、自らの歴史における、聞きたくない、見たくないこと全てをなかったことにしようとする、非常に浅い精神世界をもつ人たちと、いったいどのような対話あるいは交渉が可能なのだろうか。実際に今の日本の学校では近現代史をほとんど教えておらず、日本の高校卒業生のなかでも朝鮮半島が如何にして分断されたのか、その経緯を理解する若者はほとんどいないらしい。「少女像」問題もそうである。合理的に考えればナチス・ドイツによる犠牲者を追悼する追悼碑が現在ベルリンの中心部に建てられているように、慰安婦関連の「少女像」もソウルや釡山ではなく東京や大阪にあるのが自然で当然だと言えよう。しかし最近サンフランシスコの少女像設置に反発して大阪市長はサンフランシスコとの姉妹都市関係を破棄すると宣言したそうだ。
今年はちょうど明治維新150周年にあたる。明治維新はそもそも「薩長」の武士達が起こしたクーデターであった。そのため政治的正当性の欠如という危機を乗り越えるために彼等が急造したのが天皇制国家主義、そして「征韓論」という名のもとで実行された朝鮮侵略と支配であった。その結果朝鮮半島はもちろんアジア全体において草の根民衆の生活は長い間残酷に蹂躙され、歪んでいた。そしてその後遺症は実際に今でも続いている。(在日朝鮮人歴史学者キム・ジョンミは 日本が植民地支配と戦争に対してきちんとした謝罪を行わない重要な理由として、謝罪とそれに伴う補償ないし賠償が行われることになれば、それは現在の日本の経済力では担いきれるものではないという点を挙げている。それほど日本帝国主義が犯した蛮行が多大で広範なものであったことを意味する。)
日本の知識人の多くには、日本によるアジア侵略と反人倫的蛮行には歴史的に不可避な側面があったと説明する傾向がある。しかしそのような論理は、歴史というのは結局人間が作り上げていくものであり、したがって人間自ら責任を負わねばならない問題であることを、無視してしまう論理だと言える。我々が慰安婦問題に関して日本の歴史的責任を問い続けているのは、ナショナリズ ムからでも、また国益のためでもない。それはただ、人倫を忘却した生は人間らしい生ではないと思っているからである。(同じ論理に基づいて、私達はベトナムにて犯した韓国の歴史的な過ちについても、素直にそして徹底的に反省しなければならない。)
(『ハンギョレ新聞』コラム、201815日付)

2017年12月19日火曜日

2017 End of Year Message


2017年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

I presume that ten or twenty years later we would look back year 2017, clearly recognizing this year as the crucial moment for the change of the fate of the Japanese people as well as many people in the world. Both Japanese Prime Minister Abe Shinzo and the U.S. President Donald Trump are recklessly driving their policies of destroying “truth” with many lies and deceptions. It is my belief that they are the worst combination of untruthful politicians in the whole history of the U.S.-Japan relationship. We ought to ask ourselves why we have failed to put a stop to such an atrocious situation and how we should tackle it. I am becoming more and more pessimistic and think that it may be too late to counteract this dreadful world trend. However, I would like at least to share with you the following words on “truth, freedom and peace” by German philosopher and psychiatrist Karl Jaspers (1883 – 1969):          

Peace is possible only through freedom, freedom only through truth. Hence, untruth is the actual evil destroying all peace: Untruth from cover-up to blind neglect, from lies to mendacity, from thoughtlessness to doctrinaire truth-fanaticism, from untruthfulness of the individual to untruthfulness of the public sphere.
The final word remains: The condition of peace is the shared responsibility of each individual’s way of life in truth and freedom. The question of peace is not primarily a question to ask of the world, but rather for each to ask of oneself.”
(From ‘Truth, Freedom and Peace’ by Karl Jaspers)

I would also like to share with you the most recent work by Michael Leunig, a poet and cartoonist living in Melbourne, who always tries to reveal the truth of human beings and nature through his genuinely warm and kind thoughts. He is one of few Australians whom I truly admire. Its title is “wish list”.
 
I end this year’s message with the following three pieces of music that I like very much.

1)St Matthew Passion (BWV 244) by J.S. Bach

Performed by the Netherland Bach Society

With Sato Yusuke (violin) and Tim Mead (alt)

https://www.youtube.com/watch?v=Zry9dpM1_n4


2)Ave Maria composed by Tõnis Kaumann
Estonian vocal ensemble Vox Clamantis, of which Kaumann is also a member.

3)Cascading Water Fall (Takiochi) anonymous
Played by Riley Lee, a shakuhachi grand master who lives in Sydney, Australia

With best wishes,
Yuki



2017年末メッセージ
今年、2017年という年は、10年〜20年後に振り返ってみるなら、日本にとっても世界にとっても、私たちの歴史的運命を決定づけた重要な年であったことに痛切に気がつくのではないかと私は思っています。虚偽と欺瞞という不真実に満ちた腐敗政治をがむしゃらに推し進める日本の首相・安倍晋三と米国大統領ドナルド・トランプ、この「不真実政治家コンビ」は、日米関係のこれまでの歴史で最悪の組み合わせです。こんなひどい状況を作り出してしまった原因を、しっかり問い詰め、対処方法を考えないといけないのですが、実はもう遅すぎるのではないかと私は恐れている今日この頃です。せめて、不真実で満ち満ちたこの今の状況を考えるために、ドイツの哲学者/精神科医カール・ヤスパース(1883〜1969年)の次のような言葉を噛みしめながら、年末を迎えたいと思っています。

「平和は自由によってのみ可能であり、自由は真実によってのみもたらされる。したがって、不真実は本的にであり、あらゆる平和の破原因である。隠蔽から盲目的無関心に至るあらゆる不真実、虚偽から不正直までのあらゆる不真実、思考しないことから狂信的原理信仰までのあらゆる不真実、個人の不真実から公的場面までのあらゆる不真実、それらの全ての不真実である。最終的に言えることは、次のようなことである。平和は、真実と自由に対する諸個人の責任を、日常生活の上でどう皆で共同して取っていくかにかかっている。平和の問題は、本来は世界の状況に関して問いかける性格のものではない。それはむしろ、各人が自分のあり方に関して問うべきものである。」(カール・ヤスパース「真実、自由と平和」1958年講演からの抜粋 拙訳)

いつも優しい心で人間と自然の真実に迫ろうとする作品を産み出している、メルボルンの詩人で漫画家 私が最も尊敬する数少ないオーストラリア人の一人マイケル・ルーニッグの最近の作品「願いごと」も紹介しておきます。
 
「願いごと

精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり
欲しいと思うなら、どれもみな簡単に手に入る大切なもの
気持ちのこもった寛容さ、耐え忍ぶ心と安らぎ
鶏、ムクドリ、アヒルとガチョウ
木々と花々、草と種
手と足と色鮮やかなビーズ玉
茶碗に入ったお茶、遠くから聞こえてくる鐘の音
山の上の浮雲、それに美味しそうな料理の匂い
庭のなかの小さな細道と、そのそばに置かれた木製の椅子
精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり」
(拙訳)

そして最後に三つの私の好きな音楽です:
1)ヨハンセバスティアンバッハ作曲「マタイ受難曲」BWV244
オランダ・バッハ協会演奏、バイオリニストは佐藤俊介
歌っているのはイギリスの男性アルト歌手ティム・ミード

2)アヴェ・マリア
エストニアの作曲家トニス・カウマンTõnis Kaumann作曲
エストニアのヴォーカル・アンサンブル、ボックス・クラマンティスVox Clamantisの合唱(カウマンもメンバーの一人)

3)瀧落(たきおち)作曲者不明
演奏者:シドニー在住の中国系アメリカ人、ライリー・リー(大師範)

静寂で平穏なクリスマスと新年をお迎えください。

2017年12月12日火曜日

「2017年広島日韓関係シンポジウム」黒田発言批判声明文


「2017年広島日韓関係シンポジウム」における黒田勝弘(元産経新聞論説委員)発言に関する批判声明文

韓国語版は下記アドレスでダウンロードできます

  2017年3月24日、広島国際会議場「ダリア」にて、韓国の世宗研究所と韓国国際交流財団が主催し、広島市立大学広島平和研究所と駐広島大韓民国総領事館の後援による、「2017年広島日韓関係シンポジウム」が開催されました。このシンポジウムには、一般市民も参加を呼びかけられ、日韓関係諸問題について市民にも問題意識を強め知識を深めてもらいたいという目的が含まれていたように思われます。そのような趣旨に応える形で、私たち「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」事務局からも、2名のメンバーが傍聴しました。

黒田勝弘氏発言の問題点

  シンポジウムの第2部として行われた「ラウンド・テーブル討論」には、日韓両国側から学者やジャーナリスト数名が登壇者として招かれ、発言を行いましたが、そのうちの一名は元産経新聞論説委員の黒田勝弘氏でした。その発言内容には、以下のような2つの重大な問題があると私たちは考えました。
1)自己紹介で自分と広島とのつながりを説明する場面で、黒田氏が「女房も『現地調達』した」と発言したこと。
  その発言を聞いた途端、傍聴した私たちのメンバーは、その酷さに驚かざるをえませんでした。「自分の配偶者(そして女性一般)をモノ(道具)扱いにした」発言だと受け取りました。後日、この報告を受けた「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」事務局のメンバーも全員、黒田氏のこの発言は重大であると感じました。この「現地調達」という言葉は、アジア太平洋戦争(1931〜45年)中、日本軍が侵略戦争を展開する中で戦略上の必要から、食糧及び「慰安婦(=日本軍性奴隷)」を「現地調達=略奪/強制連行」した行為を指す軍事用語として頻繁に使われたものです。この「現地調達」は、文字通り、アジア太平洋各地で日本軍が行った非道な戦争犯罪行為であり、その最も残虐なものが主として中国の華北地域で行われた「三光(殺し、焼き、奪いつくす)作戦」でした。
  すなわち「現地調達」の過程で、しばしば住民殺害が起こり女性に対しては性暴力が振るわれたのです。いわゆる「慰安婦」と呼ばれた女性たちは、日本人や当時日本の植民地であった朝鮮半島や台湾からアジア太平洋地域に送りこまれた女性たちだけではありません。中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア、東ティモール、ニューギニアや南太平洋の島々の多くの女性たちが、文字通り「現地調達」されて日本軍によって各地に設置された「慰安所」に連行され、日本軍兵士たちの性奴隷として、自由を奪われ性の相手を強要され、反抗すると軍刀等も使った暴力を受けるという、言語に絶する苦しい経験を長期間にわたって強制されたことを考えてみてください。こうした事実に思いを馳せるならば、冗談にも「女房を現地調達した」などという表現をすることが、どれほど女性の人権を無視しており、戦争被害者を侮辱しているのかは一目瞭然です。発言者である黒田氏の恥ずべき女性観と歴史的知識の無さを明らかにしています。
  戦後日本がアジアに経済進出をしていく中で、また観光旅行の行く先々で女性を自分の性欲のはけ口として扱い、「現地妻」や「買春観光」という言葉も生まれましたが、この発言は、女性ならびに女性の性が道具として扱われていることを示すものです。特に「慰安婦」問題が討論の一つになる席での発言として、人権意識、女性の人権に対する認識のなさを披瀝するという驚くべきものでした。
  国連の女性差別撤廃条約が発効し、1995年北京で開催された世界女性会議で「女性の権利は人権です」と明言され、女性の人間としての権利の確立と女性に対する暴力や差別の撤廃に努力している国際社会だからこそ、今なお日本軍「慰安婦」問題のまっとうな解決が世界から求められ、「平和の碑(いわゆる少女像)」の建設が続いているのです。そのことを直視できないでいる日本社会の現実の一端がこの発言に如実に現れていると私たちは考えます。
  国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は、数年おきの報告書の中で毎回「慰安婦問題」をとりあげ、日本政府の対応を厳しく批判してきました。今年5月にもまた、その報告書の中で2015年末のいわゆる日本軍「慰安婦」問題に関する日韓政府間「合意」について触れ、「被害者に対する補償や名誉回復、真相解明、再発防止の約束などについては十分なものとは言えない」と指摘しています。その上で、被害者への補償と名誉回復が行われるよう日韓両国は合意を見直すべきだと述べ、事実上、合意について再度やり直すべきだと勧告しています。ところが日本政府は、「日韓合意」で10億円を払う代償に、これ以上、韓国は「慰安婦問題」には触れないこと、しかも「日韓合意」の内容には含まれていない「平和の碑」撤去まで安倍政権は韓国政府に要求しましたし、今も同じ要求を迫り続けています。これはつまり、10億円で「韓国人慰安婦」に関する記憶を抹消すること、「被害者」を私たちの記憶から抹消してしまうことを意味しており、国連拷問禁止委員会が勧告している「被害者に対する補償や名誉回復、真相解明、再発防止の約束」とは全く逆の、無責任極まりない、人道にあからさまに反する要求です。
  日本政府がこのような恥ずべき外交政策を取っていることに日本の多くの政治家や市民が疑問を呈しないという社会背景には、黒田氏のような「女性蔑視感」と「歴史認識の欠落」が異常であるとは思われていないという、日本社会独自の由々しい問題があります。したがって、黒田氏の発言は、一ジャーナリストの個人的な無知と偏見として済ませるような単純な問題ではありません。彼の発言は、現在の日本社会の様々な面に深く刻み込まれている「女性蔑視感」と「歴史認識の欠落」という、2つの重大な問題をまざまざと露呈しているものであるということ、この事実を私たちは明確に認識しておく必要があります。このような社会状況を一般市民に知ってもらい改善するように努力することも、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」の社会的責務であると、私たちは強く感じています。
  シンポジウムの登壇者が全て男性であり、しかも日韓関係史を専門とする歴史家が一人もいなかったことに、もともと問題性を感じていましたが、「現地調達」という表現を使った黒田氏に苦言を呈する人が一人もいなかったことに、私たちは強い憤りの念を禁じえません。
2)「在韓/在外被爆者が被爆者手帳を持っているのは、日本政府の支援の結果である」という内容の発言をしたこと。
  このシンポジウムでは、広島での開催ということで当然のことながら、原爆被爆の問題、特に在韓被爆者への援護の問題も話題に上がりました。黒田氏はこの問題にも触れて発言し、ここでも、厚顔無恥にも、次のように自分の決定的な「歴史的知識の欠落」を露呈しました。すなわち、「日本政府からの支援があって在韓被爆者は被爆者手帳を持っている」のであり、「日本政府や日本人、広島からの支援があったことを陜川で計画中の資料館に明記すべき」であると述べただけではなく、「韓国の関連施設や資料館は(日本政府に対して)糾弾調である」とも非難しました。つまり、在韓被爆者と韓国人は「日本に感謝すべきであって、苦情を言うな」という意味の主張をしたわけです。
  私たちが在韓被爆者問題を考える上で、決して忘れてはならない2つのことがあります。第1に、当時、なぜそれほどまで多くの朝鮮人が広島・長崎に在住していたのかということです。すなわち、日本による植民地化と統治政策の結果として土地や生活の糧を奪われたがゆえに、過酷な労働条件のもとでも日本で働かざるをえないため、朝鮮半島の多くの人たちが広島・長崎にもやってきたこと。彼らとその子どもや孫たちの多くが、米国の原爆無差別大量虐殺の被害者となったという、その歴史的背景です。さらには、犠牲者の中には軍属徴用や強制連行という形で広島・長崎に無理やり連れてこられた人たちもいました。その結果、合計4万人あまりの朝鮮人が原爆無差別殺戮の犠牲者となり、3万人ほどが被爆者となって生存し、そのうちの2万3千人ほどが戦後まもなく帰国しました。この人たちは、日本による植民地化と米国の原爆無差別大量殺傷という二重の被害者であったということを、私たちは決して忘れてはなりません。こうした歴史的背景には、当然ながら、原爆無差別大量殺戮を犯した米国政府のみならず、日本政府にも法的・倫理的責任があることは言うまでもありません。
  第2に、もともと日本政府は被爆者援護制度に様々な条件をつけ、長年にわたって国外在住者を援護策から排除してきたという事実を指摘しておく必要があります。在韓/在外被爆者が日本政府を相手にいくつもの裁判闘争を経て勝ち得た援護策は、被爆者自身のたゆまぬ努力と、彼らを長年にわたって支援してきた日本市民グループ、とくに「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の、地道な活動があってこそ実現したという事実です。そうした苦しい裁判闘争と市民運動の結果、ようやく韓国国内で被爆者手帳が申請できるようになったのは2010年からであり、医療費の支給が全面的に認められたのは2015年からでした。その間、多くの韓国人被爆者たちが病気と生活苦の中で亡くなっていかれました。「被爆者はどこにいても被爆者」という名言は、裁判を闘われた多くの韓国人の一人、郭貴勲さんの言葉です。韓国の資料館に明記すべきは、こうした厳然たる歴史事実であって、黒田氏が主張するような「虚妄の歴史」であってはなりません。
  日本による朝鮮半島の植民地支配、韓国人被爆者差別という歴史を捨象したままの日韓間の課題に関する討論は、砂上の楼閣を論ずるようなもので未来のビジョンを指し示そうという目的達成には程遠いと思います。この点からしても、黒田氏のみならず、黒田氏の発言にほとんど疑問を持たなかったその他の講師の選任にも大きな問題があったと、私たちは強く感じている次第です。同じラウンド・テーブル討論の登壇者の中には、韓国人を含む在外被爆者問題について詳細な知識を持っていてしかるべき地元の『中国新聞』の論説委員も含まれていました。ところが、この論説委員も黒田発言についてはなんの反論もしませんでした。いかに「有識者」と称される人たちであれ、関連の歴史的背景について十分な知識をもたない人たちが、上記のような歴史的背景と複雑に絡んでいる現在の日韓関係問題について、正確且つ鋭利な分析ができるはずはありません。
公開質問状とそれに対する回答について
  シンポジウムに対して私たちが持った以上のような深い疑念から、私たち「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」は、主催組織である世宗研究所と韓国国際交流財団、後援組織である広島市立大学広島平和研究所と駐広島大韓民国総領事館の全てに対して、2017年4月10日付で公開質問状を送りました。この質問状で、黒田氏がどのような考えで上記のような問題発言をされたのか、またシンポジウムを主催・後援された諸団体が、そうした発言についてどのように考えられ、その後、どのように対応をされたのか。さらには、講師選択で問題があったとは思われないのか、などについて問合せました。(ちなみに、この質問状には以下の5つの組織が賛同団体として参加しています。教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま、第九条の会ヒロシマ、ピースリンク広島・呉・岩国、Little Hands、日本基督教団西中国教区性差別問題特別委員会)
  主催組織である世宗研究所と韓国国際交流財団からは回答があり、回答に対して私たちがさらなる質問をするという形での交流がありました。その結果、主催の両団体は、黒田氏の発言に問題があり、彼を発言者として選んだことも間違っていたことを基本的には認められました。戦争被害者問題を取り扱う上で、今後、両団体が被害者の人権をあくまでも守る方針を堅持されることを祈ってやみません。

  しかしながら、後援組織の一つである駐広島大韓民国総領事館からは、「質問状にどのように対応すべきかとまどっている」という内容の電話応答があったのみで、その正式な回答をいまだ受け取っていません。韓国人の戦争被害者の人権に関わる問題に関する私たちの真摯な質問に関して、自国の戦争被害者の人権を守る義務がある韓国政府の駐広島大韓民国総領事館が、その正式な姿勢を1日も早く表明されることを私たちは切望いたしております。

  もう一つの後援組織である広島市立大学広島平和研究所からは、質問状に対する回答への私たちからの再度の要求にもかかわらず、全く応答がありません。後援組織とはいえ、シンポジウムでは研究所准教授の孫賢鎮氏が総合司会及び進行役を務め、第一部の司会を研究所所長である吉川元氏が務めるという形で深く関わった広島平和研究所が、このような重大な発言内容に関する質問状を無視し続けていることに対して、私たちは極めて遺憾に思っています。

  あらためて言うまでもなく、日本における「日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)」問題や「韓国人被爆者」問題の取り扱い方は、いまや国際的な注目を集めており、国連人権関連諸委員会や海外の多くの人権団体が注目していることは周知のとおりです。平和研究・教育方針を強く国内外で強調している広島平和研究所が関わったシンポジウムで、この2つの問題に関して重大な発言があり、それに関して質問状を受け取っているにもかかわらず、無視し続けていることは、広島平和研究所ならびにその母体である広島市立大学の国際的信頼性そのものを崩壊させることにつながるであろうと私たちは深く懸念します。広島平和研究所が、「日本軍性奴隷(『慰安婦』)」と「韓国人被爆者」という戦争被害者の人権を守るために、また、正義と公正の実現を求めて活動を続ける市民のために、平和と正義への堅固な信念と勇気をもってこの問題の処置に当たられることを私たちは強く望みます。 

2017年12月10日

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク
共同代表 足立修一 田中利幸 土井桂子
連絡先住所:730-0036 広島市中区袋町6-36
合人社ウェンディひと・まちプラザフリースペース気付メールボックス132
FAX:082-923-6318(土井)


<賛同団体>
アイ女性会議広島県本部
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク 
川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会
韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部
教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま
日本コリア協会・広島
在日の慰安婦裁判を支える会
市民運動交流センター(ふくやま)
スクラムユニオン・ひろしま
ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)・広島
戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会
「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC
第九条の会ヒロシマ
多摩ほうせんか
東北アジア情報センター
南京大虐殺60ヵ年広島県連絡会
日本キリスト教団日本軍「慰安婦」問題の解決をめざすプロジェクトチーム
日本キリスト教団北海教区性差別問題担当委員会
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会
日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める奈良ネット
日本軍「慰安婦」問題を考える会・福山
念仏者九条の会
ピースリンク広島・呉・岩国
広島県教職員組合
広島宗教者平和協議会
ひろしま女性学研究所
フィリピン人元「従軍慰安婦」を支援する会
フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩 (略称 ロラネット)
みどり福山
Little Hands

(2017年12月10日現在 34団体)