2016年3月31日木曜日

みなさんのご意見を聞かせて下さい



軍性暴力被害者を「嘘つき」扱いする女性の思想心理をどう理解したらよいのか?



私は、元日本軍性奴隷であった老女の証言を聴いたり読んだりするたびに、言葉では決して十分には説明できないような、長期にわたるおぞましい性暴力体験、その結果として徹底的に破壊された彼女たちのその後の人生、その深い苦悩と悲しみに涙せずにはおられないと同時に、そうした彼女たちを「嘘つき」呼ばわりする安倍晋三や彼の仲間たちへの激しい怒りを感ぜずにはおられません。男である私ですらそうなのですから、同性の女性にとっての軍性暴力被害者への想いには、普通ならば「哀しみと怒りの連帯感」とでも称すべき強い意識があって当然だと私は感じるのです。軍性暴力だけではなく、通常社会における強姦や家庭内(性)暴力の被害者女性の体験を聴くだけでも、私たち普通の市民にとっては極めて辛いことであり、被害者には同情せずにはいられない想いに駆られます。

話は少し変わりますが、実は、私が初めて日本軍性奴隷問題に関する論考を書いたのは、いまから23年前でした。1993年の拙著『知られざる戦争犯罪:日本軍はオーストラリア人になにをしたか』(大月書店)の第3章「戦争における女性虐殺・強姦・強制売春」がそれでした。この論考を書き終えた時、私は、戦争・軍事紛争が起きる限り軍性暴力は避けられないという考えを持つようになりました。しかし、それと同時に、この論考を書いているときに、義母に勧められて読んだヴァージニア・ウルフの『A Room of One’s Own & Three Guineas(Oxford University Press)から大いに刺激を受けて、この第3章の結論で次のように書きました(少し長い引用になりますがご容赦ください)。

 かくして、表面的にはきわめて動物的な性行為にしか見えない強姦は、実は「文化的側面」を強く有している、人間のオスに特殊な行為なのである。そしてその「文化」とは、言うまでもなく、日常生活のさまざまな面において女性に対する男性支配を確立させている「家父長制的文化」のことである。したがって、ヴァージニア・ウルフが55年以上も前にその卓越した著書『Three Guineas』ですでにわれわれに明示しているように、戦争はたんに軍事問題ではなく、男が支配している社会全般にかかわる問題であって、とりわけ男が独占している司法、学術、宗教の三つの制度と深い相互関連をもつものである。それゆえ、戦争を避け、強姦を防止するには、これまたヴァージニア・ウルフが提言しているように、男が支配している現在の文化全体を根本的に解体し、形式上ではなく文字通りの意味における女性平等を確立・保障するようなまったく新しい文化を構築することが絶対に必要な条件である。
 東京裁判で、日本軍がアジア太平洋各地で犯した強姦・女性虐殺に関する証拠資料や証言を審理したウエッブ裁判長をはじめとする11名の男の判事たちは、これらの戦争犯罪が自分たちがその支配の頂点に立っている司法界と本質的、文化的にけっして無縁でないとは考えもしなかったであろう。心理学の父とよばれ、人間のあらゆる心理現象が性の問題と深くかかわっていることを提唱したジグモンド・フロイトが、「男の性」を女性に対する「武器」として考察する必要があるなどと思いもしなかったように、彼らもまた日本人将兵が犯した性犯罪を、自分たちも含めた男全体の文化的問題として考察する必要があるなどとは想像だにしなかったにちがいない。

ウルフは、男が独占している文化として司法、学術、宗教の三つを挙げましたが、政治もまたそれに加えるべきでしょう。とりわけ地方議会でも国会でも女性議員数が極端に少なく、しかも女性議員が男性議員からセクハラを日常茶飯事のごとく受けている日本では、政治と男性支配の密接な相互関連性を無視するわけにはいきません。したがって、安倍一派をはじそのほか多くの男の政治家たちによる「慰安婦バッシング」は、単なる歴史認識の問題ではなく、彼らの「男性権力支配イデオロギー」の問題でもあることは、いまさらあらためて言及するまでもないことです。23年前に書いた自分の文章をいま読み返してみると、日本社会が、とりわけ日本の政治が、この点でいかに変化していないか、いや実際にはひどく後退しているかを再認識させられます。

なお「慰安婦バッシング」を真に解決するためには、歴史教育だけではなく、日本人のジェンダー意識と女性差別的な社会制度、総体的文化そのものが根本的に改革されなければならないという私の持論については、下記論考を参照していただければ光栄です。https://drive.google.com/file/d/0B6kP2w038jEAYmlvUWw0OTRxMHc/view?usp=sharing


しかしながら、「慰安婦バッシング」をやっているのは男たちだけではなく、実際には、安倍晋三を支えている稲田朋美、高市早苗、山谷えり子などの女性代議士、それに桜井よしこ、長谷川三千子などの右翼「有識者」、さらには「なでしこアクション」代表の山本由優美子をはじめする女性メンバーなどの右翼活動家たちがいます。彼女たちは「性暴力被害者の痛み」を、同性の女性として、いったいどのようにとらえているのでしょうか?なぜ彼女たちは、「性暴力=男性による女性支配」、「軍性暴力=侵略支配の手段」という本質を認識することができず、元「慰安婦」の老女たちを「売春婦」呼ばわりし、男たちと一緒になって「慰安婦バッシング」に躍起になることができるのでしょうか?正直なところ、私には全く彼女たちの思想心理が理解できないのです。どのような論理に基づいて彼女たちは「慰安婦バッシング」を正当であると考えているのか、私には、正直、分からないのです。

長谷川三千子の「天皇崇拝」と「大東亜戦争肯定」に関しては、「母なる天皇制」賛歌という視点からひじょうに鋭い批判を加納実紀代さんが『天皇制とジェンダー』(インパクト出版界 2002年)で書かれています。しかし、私が知る限り、「女性による慰安婦バッシング」問題についてフェミニズム論の視点から批判をしている論考の存在を知りません。どなたかご存知の方がおられましたら教えていただければ助かります。

同時に、いまこの私のブログを読んでおられるあなたご自身のお考えがありましたら、教えていただければ幸いです。女性、男性の両方のご意見を歓迎します。

なぜこのようなお願いをするのかという理由を説明しておきます。私は、ドイツのハンブルグ社会研究所の研究プロジェクト「紛争時の性暴力」の研究メンバーの一人です(実は、私は、20名ほどいるメンバーの中の唯一の男です。もう一人、フランス人の男性がいたのですが、怖気付いたのか最近は出席しなくなりました<苦笑>。メンバーの中には、昨年末に岩波書店から『戦場の性:独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』を出版したレギーナ・ミュールホイザーやRape: A History from 1860s to the Presentなど多くの著書があるロンドン大学教授のジョアンナ・バークなど、傑出したフェミニスト学者がいます)。 毎年1~2回研究会をヨーロッパで開いていますが、今年の研究会が6月半ばにハーグで開かれますので、この研究会で、この問題をとりあげてメンバー仲間の女性研究者の意見を聞き、議論してもらおうと考えています。その折、最初の問題提議で、日本人の参考意見としてみなさんの御意見、コメントを紹介させていただければと願っています。

そんなわけですので、みなさんからできるだけ多くのご意見、コメントをいただければ助かります。ご意見、コメントは、下の「コメントを投稿」をクリックしていただき、書き送っていただいても結構ですし、suizentanaka@gmail.com に送っていただいても結構です。その際、実名公表の可・不可、ご意見・コメントの公表の可・不可、を必ず明記してください。ご意見・コメント公表の許可をいただいたものは、できるだけこのブログで紹介させていただきます。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

田中利幸

1 件のコメント:

Peace Philosopher さんのコメント...

Yukiさん

重要な問題提起をありがとうございます。これは学術的研究をしっかりすべきテーマですね。私のごくごく簡単なコメントは以下です。

これは、「戦争では同じ人間なのに人間をどうして殺せるのか」という問いと本質的に共通しているのではないかと思います。Yukiさんはこの問いにどう答えますか。そしてそれを「女性になぜ”慰安婦”被害に共感しない人間がいるのか」に当てはめてみたら、当てはまるものも多いのではないかと思います。

1)レイシズム/植民地主義
「慰安婦」の歴史攻撃をやっている女性たちは右翼ナショナリスト。その裏側にレイシズムがある。同じ「日本人」の女性に起こったら共感できることでも、他の民族、特に日本が植民地主義の歴史において劣等の存在として扱った地域の女性たちに起こったことには共感することを拒否できてしまう。これはYukiさんが挙げたような極端な右翼主義者の女性たちだけではなく私の観察ではごくごく「普通」の日本人女性にもたくさん見られます。

2)「純潔」「貞操」信仰
上の側面をいうと、じゃあ日本女性の「慰安婦」被害者はということになる。これは、日本女性が遊郭の女性や性産業の中にいる女性を蔑視するのと似ていて、自分たちは「まっとうな」女性、自分の性を不特定多数の男性に提供するような女性は「けがれもの」であり同情はしない、しないどころか蔑視することによって自分の地位を上げるのです。

これは「慰安婦」の被害女性たちを同じように扱い社会的差別や抑圧にさらした、「慰安婦」の出身国の人たちにも男女にかかわらず見られるものです。それは男性の女性に対する「純潔」「貞操」の価値観を内在化したものともいえると思います。

3)階級
「慰安婦」とされた人たちはかなりが貧困層の女性たちだったと理解しています。貧しく、識字率も低く、生き残った人たちも多くは社会の底辺層で生きるしかなかった。このような人たちだからこそ、自分がその人たちよりも「上」であると思っている女性たちが差別することはあるのです。

4)「逆共感」「共感の反動」
もっと適切な用語があるのかもしれませんが、これは日本の戦争犯罪を日本人が学ぶときにある一つの反応パターンと思います。たとえば南京大虐殺で起こったようなおぞましい非人間的行為の知識に対し「日本人がこんなことをできるわけがない」、といった否定に逃げることで対処する、これは裏返せばこれらの行為の非人道性に共感しているからなのです。共感できなければ否定したいとも思わないでしょう。「慰安婦」になされた犯罪も、本当に共感したら女性にとっては辛すぎるもの、だから否定してしまって楽になりたいという心理があってもおかしくはありません。しかしこれはYukiさんが触れたような女性たちに当てはめるのは親切すぎるでしょう。彼女らは、おもに1)だと思いますから。

5)「夫」や「息子」や「父」の弁護
これらナショナリストの女性にとっては当時、「慰安婦」を強姦した日本軍の構成員たちの妻や母や娘としての想像的立場を担うこともあるでしょう。自分の夫や家族がこのようなことをしたとき、被害者の方が悪いんだと責めることによって「自分の男」を守るのです。

6)最後に質問ーーーYukiさんが「女性なのにどうして”慰安婦”に共感できないのか」と問うのはそのまま裏返すと、「男性として、”慰安婦”を使った男性たちのことは男性なら共感できるのではないか」という問いになります。これは逆に私が男性たちに聞きたいことです。

簡単ですが以上が私がちょっと考えて思いついた点です。