2016年12月17日土曜日

原爆と天皇制


-戦後民主主義再検討のための歴史克服的試論

11月25日に東京・中野でさせていただいた講演「原爆無差別攻撃の犯罪性と責任問題 - その徹底的追求が今必要な理由 」は、『広島ジャーナリスト』最新号に掲載された拙論を基にしたものでした。

この論考の主たる論点は以下の4点です。
1)原爆無差別大量殺戮という重大な戦争犯罪に対する責任は、当時のアメリカ政府(トルーマン政権)による「招爆画策責任」と、日本軍事政権(とくに天皇裕仁と大本営)による「招爆責任」の複合的な責任問題である。
2)いわゆる「終戦の詔勅」(=ポツダム宣言受諾宣言)は、原爆被害を政治的に利用することで裕仁の「招爆責任」と「アジアに対する戦争責任」を隠蔽し、「国体」を維持するための「新国体維持宣言」であった。
3)日本の「戦後民主主義」は、アメリカの「招爆画策責任」と日本(とくに裕仁)の「招爆責任」+「戦争責任」をそれぞれ隠蔽し、隠蔽することによって互いの「重大な戦争責任の放棄相互了解」を出発点としていること。
4)戦後の「象徴天皇制」は戦前・戦中の天皇制と根本的に継続しており、この天皇制の問題を含む戦後日本社会の様々な矛盾は、上記の日米両国による「重大な戦争責任の放棄相互了解」という共同謀議にその原点があること。

つまり、現在の「日本民主主義」を再検討するためには、この原爆無差別大量殺戮に対する責任問題を、もう一度、厳密に再検討してみる必要があるというのが私の考えの趣旨です。換言すれば、この問題を再検討することなくして、戦後民主主義の再検討を十分に行うことはできないと私は考えています。

少々長い論考ですが、ご笑覧、ご批評いただければ光栄です(さらに長くなることを避けるため、脚注は省略しました)。下記アドレスからダウンロードできるはずです。

ちなみに、この拙論の原稿に目を通していただいた反天皇制運動連絡会の天野恵一氏から、ひじょうに有意義なコメントと激励の言葉をいただいたことを記して深く感謝します。しかし、もちろん、文章責任はあくまでもすべて私自身にあることは言うまでもありません。また、拙論と基本的には関連していますが、最近話題になっている「天皇の生前退位」に関する論考としては、ピープルズ・プラン研究所の武藤一羊氏のものが傑出していると私は思います。私も武藤氏のこの労作からおおいに刺激を受けました。武藤氏のこの論考は下記アドレスで読めます。

なお、11月の私の2週間という短い一時帰国は、極めて私的な用事のためであったため、みなさんにお会いする時間もなく、たいへん失礼しました。勝手な旅行スケジュールにもかかわらず、講演会を準備していただいたABC 企画委員会をはじめ、協賛していただいた「被ばくの歴史平和学市民コンソーシアム」、「重慶大爆の被害者と連する会東京」、「NPO連平和記念館」、「アメリカの原爆投下責任を問う会」のみなさんにあらためてお礼を申しあげます。

田中利幸


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